[其の一]大嶽親方の相撲道

私が、昭和の大横綱と称され、戦後最強の横綱だった大鵬親方のもとに弟子入りしたのは、今から約37年前。中学を出たばかりの、15歳のときです。
「横綱になる!」という大きな夢をもって、新しい世界に飛び込みました。

相撲部屋は「軍隊みたいに厳しい」と聞いてはいましたが、それはそれは厳しかったですね。稽古が厳しいのは覚悟していましたが、新弟子の私は、稽古の空き時間には、ちゃんこ場、掃除、洗濯としなくてはいけないことが沢山あるんです。
そのうえに、その頃の大鵬部屋には先輩力士が50名ほどいて、その先輩力士たちのお遣いやらお世話やら。休む間もありませんでした。もちろん一人部屋などありません。40名ほどの力士が大広間で寝るわけですから一人になる時間もありません。

その頃の生活はというと、朝5時から稽古が始まります(私は、一日でも早く力をつけたかったので、他の新弟子と、3時・4時から稽古前の朝練習もしていました)。
稽古は11時過ぎに終わります。当番のときはちゃんこ場へ。ちゃんこ当番でない時は掃除。稽古が終わると兄弟子から順番に風呂に入り、昼ご飯を食べます。新弟子は兄弟子の世話をして、1時・2時に風呂に入ってそれから昼ご飯です昼を食べ終わる頃にはもう3時くらいになる。休む間もなく4時から掃除。その後、ちゃんこ番の人は晩御飯の支度。当番でない人は洗濯したり。先輩のお遣い・お世話等々。夕飯は6時半くらいから兄弟子が食べ、新弟子はその後です。食べ終わって片づけをしていたら、あっという間に一日が終わってしまう。そんな毎日でした。

大鵬親方の教えは、力士として一人前になるのはもちろんですが、相撲部屋を辞めた時に、何でもできるようになれと。ちゃんこ場にしても掃除にしても、厳しく教えられました。
大鵬親方は、厳しく鍛えるのを基本としていましたので、誰に対してもほめることはされませんでした。
私など、怒られた記憶は数えればきりがありませんが、ほめられた記憶はほとんどありません(笑い)。そんな生活ですから、入門後1年くらいは、親が迎えに来てくれないか…、とトイレの小窓から外を眺めては、毎日のように考えていました。

途中でやめていく人もたくさんいる中で、私が逃げ出さなかったのは、「横綱になる!」という夢・目標をあきらめなかったことと、「負けてなるものか」という想い。一日も早く上にあがって夢を実現するんだという強い思いが、くじけそうになる15歳の私を支えていたと思います。